2012年01月25日

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友人や知り合いなどに、 「韓国映画で泣けるほど感動する映画は何か?」と聞くと、「私の頭の中の消しゴム」という答えが多く返ってくる。私は韓国映画を頻繁に観る人ではないが、その映画の名前は聞いたことがあったため、楽しみにしながら映画を観ることにした。
この映画のあらすじは、ぶっきらぼうで無愛想な大工チョルスと、そそっかしくも純粋な女性スジンがトラブルによって出会い、二人は徐々に互いの事を必要とするようになる。
幸せな新婚生活を送っていた二人だったが、思わぬモノに邪魔をされることとなる。大した事ではないと思っていたスジンの物忘れが日を追うごとに深刻になり、医者に宣告された病名は「若年生アルツハイマー」であった。徐々に失われていくスジンの記憶を繋ぎとめるために必死に介護をするチョルス。いずれ最愛の人まで忘れてしまうことへの恐怖と戦うスジン。
二人はなす術のない病の進行に絶望するが、それでも二人の間にある「愛」は揺らぐことはなかった。
肉体的な死より精神的な死が先に訪れる病気、「若年生アルツハイマー」。
最愛の人から忘れ去られていく悲しさ、虚しさは「死」よりも悲しいものがあるかもしれない。私はこの世で一番愛する人の記憶にはいつまでも残っていて欲しいと考えており、また、お互いが愛し合っている事を実感するためには過去の記憶が必要だと思う。もし、私が記憶を無くしていく側だとすれば、パートナーのことをどれほど愛していても、記憶に留めていたいと思っていたとしても、どんどん記憶が失われて行ってしまうため、スジンのようにパートナーとの別れを選択してしまうかもしれない。しかし、愛するパートナーのため介助をする側からすると、「忘れられたくない」ために必死に解決策を模索し、二人で歩んで行く道を探したいと考えるであろう。
この、相反する、すれ違いのような切ない感情の中で、苦労しながらも前に進もうとする二人の愛情の形をこの映画に見た気がする。




Posted by 芸短ネット演習 at 21:54│Comments(0)
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