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2012年01月25日

2113021

友人や知り合いなどに、 「韓国映画で泣けるほど感動する映画は何か?」と聞くと、「私の頭の中の消しゴム」という答えが多く返ってくる。私は韓国映画を頻繁に観る人ではないが、その映画の名前は聞いたことがあったため、楽しみにしながら映画を観ることにした。
この映画のあらすじは、ぶっきらぼうで無愛想な大工チョルスと、そそっかしくも純粋な女性スジンがトラブルによって出会い、二人は徐々に互いの事を必要とするようになる。
幸せな新婚生活を送っていた二人だったが、思わぬモノに邪魔をされることとなる。大した事ではないと思っていたスジンの物忘れが日を追うごとに深刻になり、医者に宣告された病名は「若年生アルツハイマー」であった。徐々に失われていくスジンの記憶を繋ぎとめるために必死に介護をするチョルス。いずれ最愛の人まで忘れてしまうことへの恐怖と戦うスジン。
二人はなす術のない病の進行に絶望するが、それでも二人の間にある「愛」は揺らぐことはなかった。
肉体的な死より精神的な死が先に訪れる病気、「若年生アルツハイマー」。
最愛の人から忘れ去られていく悲しさ、虚しさは「死」よりも悲しいものがあるかもしれない。私はこの世で一番愛する人の記憶にはいつまでも残っていて欲しいと考えており、また、お互いが愛し合っている事を実感するためには過去の記憶が必要だと思う。もし、私が記憶を無くしていく側だとすれば、パートナーのことをどれほど愛していても、記憶に留めていたいと思っていたとしても、どんどん記憶が失われて行ってしまうため、スジンのようにパートナーとの別れを選択してしまうかもしれない。しかし、愛するパートナーのため介助をする側からすると、「忘れられたくない」ために必死に解決策を模索し、二人で歩んで行く道を探したいと考えるであろう。
この、相反する、すれ違いのような切ない感情の中で、苦労しながらも前に進もうとする二人の愛情の形をこの映画に見た気がする。

  


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2012年01月16日

2113032

韓国映画「マラソン」

[image: 説明:
http://chaim-time.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_97f/chaim-time/00-b34df.jpg]

あらすじは、5歳の心を持つ20歳のチョウォンは、"走り"
の才能だけは人並み外れていた。母親のキョンスクはチョウォンから目が離せず、息子より一日だけ長生きしたいと願っている。自分の脚を”100万ドルの脚”と思い込み、その期待にこたえるように記録を伸ばし始めたチョウォンは、
ハーフマラソンで3位入賞をする。その結果、マスコミの取材で母親は、フルマラソンを3時間以内に走るという”サブスリー”というものを知り、
そこに目標を置くようになる。何とか長所を伸ばしたいキョンスクは、かつての有名ランナーで、今は飲んだくれのチョンウクにコーチを依頼し、42.195キロのフルマラソン参加に向けトレーニングを開始した。しかし、チョンウクは母親にしつこく頼まれ、仕方なく引き受けたのでやる気がなく、
自分はベンチに寝転んでチョウォンにただひたすらグランドを走らせるだけだった。キョンスクとチョンウクはマラソン参加をめぐって対立するが、チョウォンの天使のような純真さと走ることへのひたむきさは周囲の人々の心を解きほぐし、やがて笑顔の輪が広がってゆく。そんなチョンウクだったが、チョウォンと接するうちに変わっていく。母親はしだいにコーチに嫉妬するようになり、チョウォンを連れまわしたことを責めて、コーチを解雇してしまう。その一方では、母親はチョウォンにのめり込むあまり、もう1人の息子である次男のチュンウォンと夫の家族の関係が空回りし始める。そんなある日、チョウォンが走ることが好きだからマラソンをやらせているつもりでいた母親だったが、それが自分のエゴだったことに気づき、
「チョウォンを二度と走らせない。」と言い出す。しかし、チョウォンは1人でフルマラソンの大会へと向かうのだった・・・。

この映画の主人公であるチョウウォンは自閉症である。実話をもとにした作品でとても感動的であった。キョンスクのチョウウォンに対する愛情がとても感じられた。
  


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2012年01月16日

2113032

日本映画「容疑者Xの献身」

[image: 説明: 容疑者Xの献身 スタンダード・エディション
[DVD]]
「容疑者Xの献身
」は、東野圭吾の推理小説を映画化したものである。この映画のあらすじは、ある殺人事件の謎を一人の天才物理学者が独自の考えで解明していくというものだ。その事件の内容は、花岡靖子という女性とその娘・美里がある殺人事件を起こすことから始まる。二人はアパートで二人で暮らしていた。そのアパートへ靖子の元夫、富樫慎二が彼女の居所を突き止め訪ねてきた。どこに引っ越しても疫病神のように現れ、暴力を振るう富樫を靖子と美里は大喧嘩の末、殺してしまう。今後の成り行きを想像し呆然とする母子に救いの手を差し伸べたのは、隣人の天才数学者・石神だった。彼は自らの論理的思考によって二人に指示を出す。そして
3月11日、旧江戸川で死体が発見される。警察は遺体を富樫と断定、花岡母子のアリバイを聞いて目をつけるが、捜査が進むにつれ、あと1
歩といったところでことごとくズレが生ずることに気づく。困り果てた草薙刑事は、友人の天才物理学者、湯川に相談を持ちかける。すると、驚いたことに石神と湯川は大学時代の友人だった。彼は当初この事件に傍観を通していたが、やがて石神が犯行に絡んでいることを知り、独自に解明に乗り出していく。

この映画の見所は天才物理学者の湯川と天才数学者の石神が犯人を突き止める側とそれを阻止させようとする側に分かれ、友人であったにも関わらず対立する側になっているところだと思う。石神の他人のために自ら罪をかぶるという行動にはとても驚かされた。そして友人同士でも明らかにしなければいけない事実はある。他人を助けようとした石神の行為は殺人事件に関与したこととして許されることではないが、彼が考えるアリバイは完璧で湯川との対決が最終的にどうなるのか最後まで楽しむことができた。物理学と数学、それぞれの学問の違いから二人の独特の考え方が生まれてくる。とても面白い作品だと感じた。
  


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2012年01月16日

2113132



  


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2012年01月16日

2113025

<非現実的な彼女>



高校生のチョルスは、クラブで女子高生のエランに一目惚れする。ちょっかいを出すチンピラを、舌にタバコを押しつけてビビらせ、鮮やかな蹴りで片付けてしまう彼女にチョルスは、ますます惹かれていき、酔ったはずみで関係をもってしまう。その結果、妊娠したエランは学校のトイレで男の子を出産し、授業中のチョルスのもとにその子を宅配する。驚いたチョルスはエランに連絡を取ろうとするが、彼女は保守的な両親に米国に留学させられていた。一瞬にしてシングル・ファーザーになってしまったチョルスは退学になり、身寄りのない彼は、一人で子供を育てるため、三流クラブのMCで生計をたてることにする。それから9年、二人が一夜を過ごしたモーテルの名前をつけられたチョウォンは、クラブの歌手やドラッグクィーンに囲まれながら、皆に愛される賢い少年に育っていた。だらしない自分を甲斐甲斐しく世話し、腑甲斐ない自分にも怒ることもない明るく素直なチョウォンは、チョルスにとって、このうえない宝物だった。そんなある日、チョルスは高校時代の友人ジョルグと再会する。ランジェリー・デザイナーになったジョルグは、米国の支店長だという女性をチョルスの店に連れてくる。なんとその女性こそが、エランだった。思いもよらない再会にショックと怒りを隠せないチョルスは、エランにチョウォンに会うことも母親だと名乗ることもするなと言う。だが、深い後悔の念と母性に苛まれるエランは、下校途中のチョウォンに会いにいく。チョウォンは他人とは思えないエランに親近感を覚えるが、彼女が死んだと聞かされていた母親だと知り、ショックを受ける。父チョルスの思いをよくわかっている彼は、引き止めるエランを泣いて振り切り、チョルスと一緒にソウルを出る。チョルスは地方でオカマダンサーの職を得て、最愛のチョウォンと二人きりの生活を始める。だがある日、チョウォンを傷つけられたことでキレたチョルスは、ボスに反撃。しかし逆襲された彼は、危篤状態になってしまう。涙がとまらないチョウォンが電話をかけた先は、米国に戻る途中のエランだった。







<蛇にピアス>



まずは、登場人物の説明からだが、主人公ルイは19歳で、アマのスプリット・タン(蛇のように舌に二股の切れ目を入れること)に惹かれ、身体改造に興味を持ち始める。登録制のアルバイトをしており、そこでの「つくりものの自分」は人当たりがいい様子。アマはルイと同棲していて、スプリット・タンの他にも、顔中にピアスをしたり、腕に派手な刺青をしたりと、かなりの身体改造を施している。しかしルイには忠実で、彼女の指示にはほぼ無条件で従っている。古着屋でアルバイトをしている。 シバさんは身体改造の店『Desire』のオーナー。刺青を彫るのが殆どだが、ピアスも扱っている。また表情がわからないほど多くのピアスを顔面に刺しているが、「人の形を変えるのは神だけに与えられた特権」という持論からスプリット・タンにはしていない。かなりのサディストである。渋谷をふらつくルイは、何をするあてもない19歳。そんな彼女の単調な日々を変えたのは、クラブで出会ったアマだった。赤毛のモヒカン、眉と唇にピアス、背中に龍の刺青。ルイとは全く違う世界に住むアマの、蛇のような割れた舌に彼女は心を奪われる。しかし、なぜそこまでスプリットタンに惹かれたのか、ルイは自分でもよくわからない。アマに連れられて行った妖しげな店で、ルイは舌にピアスをあける。拡張を繰り返して穴を大きくし、自分も蛇の舌のようになるつもりであった。店長のシバは、全身に刺青、顔中にピアスというアマ以上にパンクな風貌の彫り師で、おまけにサディストだという。シバと出会ったルイは、自分の身体にも最高の絵を刻みたいと、熱い思いに身を焼かれる。彼女が望んだ刺青は、アマの背中に彫られた龍とシバの右腕の麒麟。しかし、ルイの背中で絡み合う龍と麒麟に瞳はなかった。そんなルイはアマと一緒に暮らしながらも、シバとも密かに関係を続けている。どんなに探しても生きる意味が見つからない不安で空しい日々の中、彼らとの恋愛の痛みと、ピアスと刺青による身体の痛みだけが、ルイに生きている実感を与えていた。危うくも心地よい一瞬一瞬を重ねて、毎日命を繋いでいくルイ。そんなとき、アマが起こした暴力事件がきっかけとなり、3人の運命は思わぬ方向へと突き進んでいく。

  


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2012年01月16日

2113063


日本映画『SWING GIRLS』

 『SWING GIRLS』が放映された当時、私はまだ小学6年生だった。でも、私はずっと吹奏楽部に憧れていて、中学校に入学したら入部しようと決めていた。その時に、この『SWING GIRLS』が放映されたことがきっかけで、更に吹奏楽に興味を持った。
 この映画は、東北地方の田舎町の話である。食あたりで倒れた吹奏楽部の代わりに、友子達13人と、リコーダーとギター、ベースしか出来ないという3人の計16人の女子高生が急遽集められた。そして、難を逃れた吹奏楽部1年の拓雄が、野球部の応援のためにビックバンドを結成することになる。しかし、演奏する楽しさを知った矢先に、吹奏楽部が復活する。17人の夏休みは不完全燃焼のまま終わっていくことになる。だが、スウィングの楽しさを忘れられない。途中、脱落者は出たが、大奮闘の末に楽器をゲットした彼ら、隠れジャズマニアだった数学の小澤先生の指導の下、演奏も徐々に様になっていく。一度は、去って行った人たちも戻って、ビックバンド“Swing Girls and a Boy”を結成する。“東北学生音楽祭”にも出場し、満員の会場で見事な演奏を披露するという物語である。
 私は、中学生の時に映画の中で演奏している“Sing Sing Sing”や“IN THE MOOD”を実際に演奏したことがある。この曲は、誰でも一度は聞いたことがあると思う。始めは、JAZZの独特なメロディに抵抗があったが、練習していくにつれ、“Swing Girls and a Boy”のようにJAZZを演奏することが楽しくなり、部活中は部員みんなでよく演奏をしていた。特に“Sing Sing Sing”は、運指も難しく大嫌いな曲だった。だけど、苦手なところをひとつひとつクリアしていくことで、それが自身にもなり、大好きな曲の一つになった。
 今回、『SWING GIRLS』を見ていてもう一度楽器を吹きたくなった。JAZZは、最初は抵抗あるが、慣れてくるととてもリズムに乗りやすい音楽だ。だから、JAZZの独特な雰囲気が苦手な人でも、この映画を通してJAZZが好きになれるのではないかと思う。
  


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2012年01月16日

2113057

韓国映画「天国への郵便配達人」


 小高い丘の草原の真ん中に、古びた赤いポストが立っている。亡くなった大切な人を忘れられずにいる人々が天国にいる彼らに手紙を送るポストである。その手紙を配達する『天国への郵便配達人』であるシン・ジェジュンは、この世とあの世を行き来することのできる存在だ。
 ある日、突然死んだ恋人に対する後悔ではなく恨みの手紙を出しに来たハナに自分の正体がバレてしまう。そこでジェジュンはハナに天国から来た返信の配達アルバイトを提案するが、ハナは怪しいと断る。だが、アルバイトを探していたハナは悩んだ末にジェジュンと共に『天国への郵便配達人』の仕事をするようになる。
 配達人の仕事は、出された手紙を亡くなった本人に届けるのではなく、手紙を読んでその返事を代筆したり、残された人たちに少しでも安らぎと幸せを与えることである。返信をもらった人々が喜ぶ姿を見ながら、やりがいと喜びを感じ始めたハナは、気づかぬうちにジェジュンに心を奪われる。いつのまにかジェジュンに対する気持ちから死んだ恋人への傷が癒えたハナ。しかし、ジェジュンへの想いが大きくなるほどに彼の姿がハッキリ見えなくなっていく、それはジェジュンの姿が死んだ人への想いが強い人にしか見えないという理由から。ハナがジェジュンのこと好きになるほど姿が見えなくなるということだった。そしていつしかハナはジェジュンの姿が全く見えなくなってしまった。

 最後は再び二人が出会いハッピーエンドで終わったが、この作品を見て思ったのはセリフや行動一つ一つが深いということだ。ハナとジェジュンの恋路はもちろん、ついて良い嘘と悪い嘘、あの世とこの世、天国がどんなとこなのか。生きるとはどういうことなのか。明日がくることを、周りの人がいつも居ることを当たり前と思うのではなく、その『当たり前』に感謝し、毎日を強く生きようと思わせてくれる素敵な作品だと思った。





  


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2012年01月16日

2113046

 日本映画(サトラレ)
 
 この映画のタイトルでもある、サトラレとは、乖離性意識伝播過剰障害である。
先天的に思った事が、口に出さなくとも周囲に筒抜けになってしまう1000万人
に1人の確率で存在する人間の総称である事である。そのサトラレというのは、日
本の財産として日本政府、国家によって守れている。なぜなら、サトラレは例外な
くIQ180以上の天才である。サトラレの由来は民話に出てくる、人の心を読む妖
怪“サトリ”になぞらえてこの呼び名がついた。この映画の主人公は7人目のサト
ラレ“症例7号”とよばれる天才外科医の里見健一が、自分がサトラレとは知らな
いで生活しているが、隠しようもなく自分の気持ちが漏れてしまっているが、周囲
の人々は里見健一自身の気持ちを知りながら、日本政府によって保護されているの
で、気づかないフリをしているのである。しかし、その不思議な関係が、やがて里
見健一自身や、周囲の人々に変化が産まれるのである。サトラレである里見健一に
関係して、彼の人間としての純粋さに触れ合う事で、自分たちが忘れかけている人
として一番大切な事に気が付きサトラレと一般の人々が協力し合い生きていくとい
う映画であった。
私がこの映画を見て思ったことは、多分この映画を見た多くの人が思うことだと思
うが、もし自分がサトラレだったら、であるという事。この映画を見て
ラストシーンはすごく感動したのに、映画を見終わったとき、ふと「もし自分がサ
トラレだったら」と考えると恐ろしくなりました。また、この映画の序盤は、コメ
ディテイストにつくられているのが印象的でした。そして独特の世界観が自分に合
っていて、この映画の世界に入り込めました。中盤のラブコメ的な話から急速に面
白くなり、終盤の主人公の祖母の手術のシーンや、サトラレを理解し共存しようと
するシーンはとても感動しました。笑い、感動がある映画でした。





韓国映画(非日常的な彼女)

 この映画は、いきなりヒロインのエランが、トイレの中で力んでいる場面で始ま
る。なぜなら、これが出産だからである。その出産の場所は、高校のトイレの中で
ある。そこで生まれた赤ちゃんは、バイク便で彼氏のチョルスのところに届けられ
たのだった。チョルスはいきなり赤ちゃんが届いて驚いたが、チョルスには身に覚
えがあったのである。チョルスが飲みに行ったディスコでエランはナンパ目的の男
たちの前で、煙草の火を舌で消したり、ミニスカートを履いていたのにも関わら
ず、ナンパしてきた男たちを、殴り飛ばしたり、蹴り飛ばしたり、ビール瓶で頭を
殴りつけたりと、やりたい放題であった。怒ったナンパ男たちと喧嘩になってしま
った。チョルスはエランを助けようとしたが逆に助けられ、そのまま一夜をともに
してしまった。その後、カラオケに行った日に彼女はなぜか泣きながら去って行
き、それから会っていなかった。彼女は、アメリカに留学させられ、チョルスは仕
方なく育てる事にしたのである。それから9年後、チョウンと名付けられた赤ちゃ
んは、小学生になり、チョルスはクラブで司会をしていた。偶然、会社の接待で来
ていたのはアメリカから帰ってきたエランであった。チョルスは、エランにチョウ
ンに自分が母親である事を名乗ってはいけないと釘を刺したのである。しかし、子
供に会いたいエランは、こっそりチョウンに会いに行くのであった。しかし、エラ
ンが母親だということがばれてしまい、チョルスは、板ばさみになってしまい、す
こし鬱状態になってしまうのである。だが、トラブル起こり家族が一つになってい
くのである。この「非日常的な彼女」という映画は、簡単に言えば、面白おかしい
コメディ映画なのかと、見はじめた最初は思っていましたが、子供を捨てた母親
と、母親に捨てられた子供、子供を一人で育てる父親を描いていて、最後は、ハッ
ピーエンドと終わりかたで、見終わった後に幸せな気持ちになる映画であった。


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i11082@oita-pjc.ac.jp
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2012年01月16日

2113063


韓国映画『赤ちゃんと僕』

 私は、兄弟が多く長女だったこともあり、赤ちゃんと接する機会が多くありました。だから、『赤ちゃんと僕』という映画を見つけたとき、赤ちゃんがどんな演技をするのか気になって見てみたいと思ったので見てみました。
 問題児の高校生ジュンス(チャン・グンソク)が、ある日突然、赤ちゃんのウラム(ムン・メイスン)の父親になるという物語です。ジュンスの親が、問題児具合にしびれを切らし、10万ウォンを置き家出をします。ジュンスがそのお金で、電話をしながら買い物している最中、ショッピングカートにウラムが入れられていて、迷子センターに連れて行ってもウラムの親が見つからないため、ジュンスが育てることになります。
 この映画で面白かったところは、赤ちゃんの心の中の声を吹き込んでいるところです。しかも、心の声とウラムの動作がマッチしているところがとても面白いです。特に、貰い乳をしている場面で、自分の気に入った女の人でなかったら、「この人の乳は飲みたくない」とか、「まだ、粉ミルクの方がましだ」と毒舌を吐きます。 私も赤ちゃんの面倒を見ているときに、何度も赤ちゃんの気持ちを知りたいと思うことがありました。でも、この映画を見ていて、赤ちゃんがこのような毒舌を吐いていたら怖いなぁと思いました。だから、赤ちゃんには優しく接しようと思います。
 『赤ちゃんと僕』は、見ていて心がとても温かくなります。問題児だったジュンスが、ウラムを一生懸命育てていく過程で、父性が芽生えていきます。ウラムも可愛くて見ているだけで癒されます。あと前にも書いたけど、その場面と赤ちゃんの動作がマッチしているところと、毒舌なところも見所だと思います。
 赤ちゃんが好きな人も苦手な人も、楽しめる映画だと思います。
  


Posted by 芸短ネット演習 at 09:18Comments(0)

2012年01月16日

2115065

わたしが持っている唯一の韓国映画DVD
「僕の彼女を紹介します」


見上げると首が痛くなるような超高層マンションから、女性が飛びおりた。物語始まって、
まだ数分もたってない場面で、だ。彼女が飛びおりたことよりも、すらりと映し出された脚
がまるで作り物のようだったのがとても印象的だった。ゆるやかに、しかし確実に硬いコン
クリートへと落下していく彼女の後ろで男性の声がする。僕の彼女を紹介します、と。

 婦人警官のギョンジンは誰よりも正義感が強く、男勝り。ギョンジンの誤認逮捕で出会っ
た高校教師ミョンウは、気が弱いが優しい心の持ち主だ。ギョンジンが警官ということもあ
ってからか、たびたび2人は事件に巻き込まれてしまう。あるときは麻薬取引の現場、また
あるときはミョンウが犯人に人質にされたり、またあるときは交通事故に遭遇したり。どの
場面でも繰り広げられる、ギョンジンの銃の腕や舌を巻くような喝の数々には、笑ったり唖
然とさせられたりした。
 
 なんといっても物語の見所はギョンジン役のチョンジヒョンの迫真の演技だと思う。自分
の放った一発の銃弾に倒れるミョンウを、狂乱したかのように泣き叫ぶ様には、おもわず涙
も止まってしまうほど言葉を失った。

 私が始めて韓国映画を見たのは小学校六年生のときだ。テレビに出演していたチョンジヒ
ョンに魅せられて、翌朝レンタルビデオ店で「猟奇的な彼女」を借りたことは今でも覚えて
いる。決して派手な顔立ちではない彼女だが、大の男性相手に大声で威嚇する姿がとても魅
力的でかっこよくて、飽きずに何度も見返した。「僕の彼女を紹介します」は、「猟奇的な
彼女」で監督をしたクァクジェヨン監督とチョンジヒョンが再びタッグを組んだ作品ともあ
って一度見てみたいと思っていた。そして、13歳の誕生日に母にねだって買ってもらった
のだ。
 私が買ったのは本編が収録されているディスクが一枚入った通常版だった。しかし、ある
日店頭に行くとディスク2枚入りの初回限定版なるものも存在していることを知り、またも
や母にねだり通常版と初回版を店頭で交換してもらった。夜になると、本編再生ボタンを押
し、ひとりすすり泣きしていたあの頃の自分が懐かしい。

 映画が公開されてから今年で早8年。当時22歳という若さだったチョンジヒョンも今で
は30歳を迎えたらしい。これからの彼女の活躍が今から楽しみだ。
  


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2012年01月16日

2113081

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日本映画「僕と妻の1778の物語」

「相手のために何ができるだろう。」この思いは、本当に大切に想っている相手に抱く感情であると思う。私は、この映画によって、相手を真剣に思う感情が改めて大切だと感じさせられた。

SF
作家の朔太郎は、小説のアイディアが浮かぶと場所もわきまえずに書いてしまう少し変わった性格である。そんな朔太郎を誰よりも理解し支える銀行員の節子。二人は仲睦まじい夫婦で、お互いを大切に想い合い、幸せな日々を送っていた。しかし、ある日突然節子が病気に侵されていることが分かり、医者から余命一年と宣告されてしまう。そこで、医者に「笑うことで免疫力が上がる。」と言われ、朔太郎は毎日一遍の笑える短編小説を書く事を自分に課す。

この映画は、「相手を思う気持ち」が表れる場面が数多く出てくる。例えば、朔太郎が節子のために何ができるだろうと考え、毎日小説を書き続ける場面。また、高い医療費のために朔太郎がやりたくなかった恋愛小説を書くと言った場面。節子は、「あなたが嫌な仕事で稼いだお金で助かっても嬉しくない。」と朔太郎の事を思う。たくさんの思い合いによって二人は、支え合いながら生きていると感じた。

この事は、映画の中だけでなく私たちの日常生活にも深く関係していると思う。人は、自分一人では生きられない。数多くの相手を大切に思い、思われる感情があるからこそ支え合って生きていけるのだと感じられた。

もし大切に思う人が病気になったら、「自分には何ができるのだろう。」と考えるだろう。その時、自分には何も出来ることがないと思うかもしれない、無力だと感じるかもしれない。相手にしてあげられることの中で、何が正解とか不正解とかは分からない。しかし、私は相手を大切に思う気持ち、相手を助けたいと思う気持ちがあることが、最も重要ではないかと思った。この作品は、相手を思うかけがえのない気持ちを朔太郎や節子の思い合いによって感じさせられる愛の物語だと感じられた。
  


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2012年01月16日

2113081

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韓国映画「カンナさん大成功です」

この映画は題名やDVD
のパッケージだけを見ると、面白くて楽しそう等の楽観的な感想を抱くと思われる。たしかに、この映画はラブコメディーである。しかし、実際はそれだけではない。外見が優れていることが大切なのかもしれないし、そうでないかもしれない。しかし、自信を持って、自分を信じて、自分にしか出来ないことをやり遂げようとする姿の方が誰よりも、美しく輝く事を教えてくれる。この映画は、様々な感情を起こさせてくれる。

この映画の主人公カンナは、デブでブスである容姿のため、容姿は完璧であるが歌が下手な歌手の代わりに舞台裏で歌を歌う日々。そんな彼女にもプロデューサーのサンジュンという好きな相手が居り、そんな彼のそばで働くだけで幸せであった。しかし、ある日言われたサンジュンの思いがけない言葉に傷つき、整形手術を行うことを決意する。

誰もが「しあわせになりたい。」と思うが、整形手術で美貌を手に入れても、幸せになれるとは限らない。カンナも美貌を手に入れて、歌手デビューも果たし、サンジュンとも幸せな関係に発展していった。しかし、サンジュンや他の人に整形を隠し続けていることに罪悪感を覚え、また、大切な友だちと父親を失いかけた。どんなに、美貌を手に入れて夢を叶えたとしても、家族や友達を失う悲壮感には、勝てないと感じた。ところが、カンナは整形したことをコンサートで告白し、自分に自信を持って、生きていくことになる。その姿は、凛としていて輝きを放っていると感じた。

また、この映画を見ることで少しではあるが、韓国の整形に対する考え方を感じさせられる。カンナが過去を消すために写真を燃やす場面やサンジュンが整形に関しての意見を述べる場面は、韓国の整形に対する一般的な考え方を反映しているのではないかと思われた。映画は、その国や時代の価値観や文化などを感じ取らせる。しかし、自分を信じて突き進む姿は、いつ見ても美しく輝くと思う。
  


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2012年01月16日

2103085

 私がみた邦画は「七人のおたく」という映画で、タイトル通り七人のおたくが活躍する物語である。

ミリタリー、カンフー、無線、アイドル…様々な分野のおたく達が目的達成のため、それぞれが特技を生かし協力するというストーリーだ。

この映画が公開されたのは、1992年12月19日。私が1才になったばかりの、約20年前である。最初に、「おたく」という言葉がこの時からすでにあったことに少し驚いた。しかし、「おたく」という言葉が、〜マニアというような人たちを指す言葉として誰もが認識するようになったのはもっと後になってからだと思う。
「おたく」に対する人々の印象は最近かなり変わってきていると感じる。少し前までは、「キモい」など、マイナスのイメージしか持たれていなかったのではないだろうか。
 秋葉原=おたくというイメージは今でも衰えていないだろう。しかし、現在では、アイドルでいえば「AKB48」、アニメだと「ONE PIECE」など、誰もに大人気のグループや作品が登場し、「おたく」と呼ばれ、嫌がられていた人々と対極にいたような若者たちまで、自らを「自分は〜おたく」のように言っている姿を目にする。

この「七人のおたく」の映画中でも、おたく達は、世間からはみ出た者として描かれていた。また、自分の趣味が「おたく」とされないようにひた隠しにするという人も最近は減ったのかもしれない。
一時期は、アニメやアイドルが好きだったら、即おたく、のような考えが世間的にあったように思える。それに伴って肩身の狭い思いをしていた人も数多くいただろう。最近になって「おたく」が普遍化し、アニメなどは日本の一文化にもなっている。流行の移り変わりによって、人の考えも目まぐるしく変化することを実感した。

「おたく」と呼ばれる人達を、正直私も「気持ち悪い」と思っていた1人だが、その人がどのような人かわからず、ただアニメやアイドルが人より好きで詳しいというような事だけで差別してはいけないし、その偏見で傷つけるようなことはしないようにしなければな、と思った。
  


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2012年01月15日

2113053

韓国映画「カンナさん大成功です!」

この話は、身長169cmにして体重95kgという体格のカンナ(キム・アジュン)の基本スタイルはいつも上下スウェット。しかし、そんなカンナにも人並み以上の才能があった。それは誰もが聞き惚れる美声と天才的な歌唱力。その取り柄を活かし“影の歌手”、ゴースト・シンガーとして活躍していた。顔とスタイルは抜群だが、歌は全くダメなスター、アミの舞台裏で、彼女の代わりに歌を歌っているのがカンナなのである。
決して目立つ場所にいるわけではないが、想いを寄せるプロデューサーのサンジュン(チェ・ジンモ)をモニター越しでみることができる。自分だけが特別になれるその瞬間、それだけでカンナは満足であった。そんなある日想いを寄せているサンジュンの本音を聞いてしまい自殺を考えるほど落ち込んだが、全身整形に試みた。手術は成功したが、謎の失踪。しかし、謎の失踪から1年後にジェニーという歌手が現れ、169cm、48kgというスタイル抜群で、天才的な歌唱力を持つ彼女は一躍トップスターに踊り出た。実は、彼女は昔のカンナ。ある日何気ないことでサンジュンにカンナの正体がばれてしまう。そしてジェニーはファーストコンサートで自分の正体を告白する。会場は静まり返るが、カンナを応援する声
で新たなカンナとしてスタートする。
私は、整形はいいとは思えないが、新しい自分として頑張れるのでよかったと思う。
  


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2012年01月15日

1月15日の記事

日韓コミュニケーション論
「余命1ヶ月の花嫁」

私は、「余命1ヶ月の花嫁」を見ました。このタイトルを聞いて、ストーリーは何
となく想像がついたけれど、ちゃんと映画を見て内容を知りたいと思ったので、こ
の映画を見ることにしました。
この映画の冒頭に、「みなさんに明日が来ることは奇跡です。それを知ってるだけ
で、日常は幸せなことだらけで溢れてます。」という言葉が出ます。この言葉は、
主人公である長島千恵さんが残した言葉です。私は、この言葉がとても心に残りま
した。普段生活している中で、明日が来る来ないなど考えたこともありませんでし
た。この言葉は、私に明日が来ることの素晴らしさを改めて感じさせてくれまし
た。
この映画は、実話をもとに作られたものです。主人公の長島千恵さんが乳がんと闘
う様子が描かれています。ある日、千恵さんは後に恋人となる太郎さんと出会い、
交際を始めます。しかし、その後彼女は乳がんに冒され彼の元を離れます。乳がん
だと知ってからも太郎さんの千恵さんに対する想いは変わることなく、彼女を追い
かけお互い共に生きることを決意します。そんな中彼女は乳がんを再発し、ある時
太郎さんや彼女の家族に医師から余命一ヶ月と宣告されます。彼女の夢だった「ウ
エディングドレスを着ること」を叶えるために、太郎さんは友人らと模擬結婚式を
計画します。その結婚式の一か月後に彼女は亡くなってしまいます。
この映画を見て、家族や恋人の余命を一か月と突然宣告されることはどれほど辛い
ものだろうかと思いました。今、自分に命があり、好きなことができていることに
感謝しながら生きなければならないなと強く思いました。自分の命も人の命も大切
に思って、生きていきたいと思いました。

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2012年01月15日

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韓国の文化と社会  期末課題 2113079
『ハナミズキ』

 この映画は、2004年にリリースされた一青窈さんのヒット曲『ハナミズキ』をもモチーフにした純愛物語である。この曲は現在、ウェディングソングとして多くの人に親しまれている。途中に出てくる「君と好きな人が百年続きますように…」というこのワンフレーズに心を打たれた人は少なくないだろう。

 海外で働くことを夢見て勉強に励む主人公平沢紗枝と漁師になることが夢で、地元の水産高校に通う木内康平はまったく共通点がない。にも関わらず2人はひょんなことで出会い、恋に落ちる。
 紗枝が上京し、遠距離になりながらもお互いを信じ幸せな日々を過ごしていた2人だったが、康平の父の死をきっかけに別れることになる。
 それから2人は、それぞれ別々の道を歩むことになり、さまざまな苦難が立ちはだかる。しかし、2人はその苦難を乗り越え、10年後また出会い結ばれることになるのだ。これは2人の出会いが『運命』であるからこその結果であると私は思う。

 『ハナミズキ』の花言葉は、「返礼。華やかな恋。」である。紗枝と康平の2人の恋は、決して「華やかな恋」ではないと思う。しかし、とても素敵な恋だと思う。

 もしも元カレもしくは元カノと、10年後もう一度出会ったらどう感じるか?と聞かれたらだいたいの人は「きまずい」と答えるのではないだろうかと私は思った。そうでなくても、過去の思い出話になるくらいで進展するようなことはないと思う。それでも再び結ばれることになるのならそれは「運命の恋」であると思う。
 私は以前、友達からこんな言葉を言われたことがある。「もしも2人が運命だったら、きっともう一度出会うことができるよ」と。『ハナミズキ』見た私は、まさしくこのような恋愛のことだと感じた。
 私はあと半年で20歳になる。自分で言うのもどうかと思うが、まだまだ若い。これから、たくさんの恋をして成長していく必要があると思う。その中で、どれか1つでも『ハナミズキ』に近い恋愛になって欲しい。
 未来の私が好きな人と100年続きますように…。

  


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2012年01月15日

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日本の映画「1リットルの涙」

「1リットルの涙」それはベストセラー本にもなり、ドラマでも話題となった。主人公
の亜也は、高校に進学したものの、脊髄小脳変性症という難病にかかってしまう。初
め、症状はあまり出なかったのだが着々と進行していった。ついには、友人の力を借り
なければ学校の移動も困難となり、亜也は養護学校に通うことになった。毎日リハビリ
に励み、社会にでて働きたいという希望を捨てずに生き続けた。そして亜也は入退院を
繰り返し自宅のベッドで生活し始め、それから五年あまりを生き抜いた。
結末を知っていた私はドラマでも話題になったからか「病気はどうして私を選んだ
の?」という言葉がずっと頭から離れなかった。もしかするとこの病気にかかったのは
主人公の亜也さんではなく自分であったかもしれない。その時に亜也さんのように力強
く生きることが出来るのだろうか。この映画を通して、生きる意味を改めて真剣に考え
た。病気と闘う人の気持ちを全て私が理解することは不可能だろう。しかし、夢や希望
を捨てないことは人生に大きな意味があると思った。普段当たり前のように私たちは生
活をしている。しかし、健康であるということはとても貴重なのだ。それを当たり前に
感じすぎて人は病気になってもなかなかその事実を受け入れることができない。泣いて
も泣いてもそう簡単には治らない難病。難病という存在に苛立ちすら覚えた。そして、
そのような難病に対して前向きに生きる難しさも学んだ。
またこの映画では家族のあたたかさも感じた。最後まで、亜也さんを支えている姿に家
族の大切さを考えさせられた。
もし自分が難病になったら、大切な家族・友人がなったら、今も難病と闘っている人が
いる。全て考えただけで胸が苦しくなる。自分には何が出来るのだろうか。新たな課題
をもたらした映画であった。
  


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2012年01月15日

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わたしは、今回のレポートで『千と千尋の神隠し』について書くことにした。ジブ
リ作品の描く世界観が昔から好きで、唯一DVDを持っている作品である。
この物語は主人公の千尋と両親が、引っ越しの途中で、不思議な町に入り込んでし
まったところから始まる。店の料理に手を出し、魔法によって姿を変えられた両親
を助けるべく、千尋は巨大な湯屋「油屋」で働くことに。そこは日本中の神々が息
抜きのために集う、神様のためのお風呂屋さんだった。ここで登場する神々や女主
人の湯婆婆、働く者共の容姿と言ったらとてもインパクトのあるものだ。湯婆婆は
千尋が油屋で働くのと引き換えに名前を奪い、「千」という新しい名前を与える。
名前を奪われるということは、“自分”を失うことであり、もし本当に自分を見失
ってしまったら、決して元の世界には帰れないのだ。今まで生きる意味を見いだせ
ていなかった千尋は生まれて初めての強い決意を胸に、油屋で働くことになった。
千尋が、神々のために働くうちにイキイキとした瞳を取り戻していく姿についつい
引き込まれてしまう。そして彼女が出会うユニークなキャラクターが、本当に魅力
的だ。そして、この世界でも何とかやっていけていた千尋の心の支えが、ハクとい
う少年。湯婆婆による密命を受けてハクは彼女の双子の妹、銭婆の大切なものを盗
んだせいで、死の呪いをかけられていた。千尋はハクを助けたい一心で、銭婆の元
へ謝りにいくことに。行ったら最後、戻ることができるかどうかわからない旅にも
関わらず、生きるための目標を見出した千尋は、もう後ろを振り返ることなどなか
った。
 感動のラストシーンを言葉で綴るのはとても惜しい。ぜひとも自分の目で見ても
らいたい作品である。
『千と千尋の神隠し』は宮崎駿作品の共通テーマである「自分」をありのままに受
け入れることの大切さをストレートに描いた作品だ。大切な“誰か”のために後先
を考えずに行動を起こす千尋の姿は、とても心に残り、何かしなければと思い起こ
させるものだった。
  


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2012年01月15日

2115067

わたしは11月27日に府内五番街行われた『第一回府内スマートフォン映像祭』に参
加した。普段、韓国映画を見る機会がないので、ここで上映されたユ・デオル監督
の『エチュード・ソロ』についてレポートを書くことにした。
入退場自由だったので中に入ったころにちょうど上映が始まったところであった。
席に着いたのはいいが、スクリーンから流れる言葉は当然のように韓国語で、字幕
はまさかの英語であった。韓国語の知識は薄く言葉を聞き取ることはおろか、英語
の字幕を理解するなんてことは不可能であった。そこで、手元の資料に目を通した
ところ、あらすじが載っているのを見つけたのでまず読んでみた。しかし、スクリ
ーンから美しい旋律が聞こえてくるとともに目を離せなくなってしまった。思った
ほどたくさんしゃべる映画でもなく、もう資料がいらなくてもいいと、この映画を
肌で感じてみようと思った。当然、会話の細かい内容はわからなかったが登場人物
の一つひとつの表情や動作を読み取ることで、その人の感情が伝わってくるような
気がした。特に、終盤の主人公が交互にでてきながら情熱的にピアノを弾いている
シーンには感動した。過去の自分と現在の自分。双方の感情は昔と変わらず、想い
を寄せている女性に届くよう、一生懸命に弾いていた。このシーンで、今までなか
なかわからなかった内容がやっと繋がった。ジグソーパズルの最後のピースをうめ
た時の感動に似ている。
また、韓国映画とのことで日本人はこういう表現の仕方をしないだろうなと思うと
ころを個人的に探してみた。そうしたら珍しいなと思う箇所が『エチュード・ソ
ロ』にはあり、面白いなと思った。言葉はわからなかったが音楽の魅力やパワーの
影響は大きいものだと感じた。そして、ユ・デオル監督のトークでは、本来は撮影
が許可されない場所での撮影になったことや音大生の出演で実現したことなど、こ
の映画の裏に隠されたエピソードを話してくれた。とても貴重なお話だった。
この映画をみて、韓国映画をもっと見てみたいと思うようになった。
  


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2012年01月15日

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作品名:カンナさん大成功です

監督:キム ヨンファ

製作年度:2006年



 私はこのタイトルを見たときに、「大成功」という言葉が一番気になったので、この作品を見ることにした。ただの成功ではなく、「大」が付くほどの成功とは一体。そう思いこの映画を見ることにした。

 私は何も説明など見ることなく見たので、最初はスポーツをするのかと予想していた。しかし、予想とは裏腹に、主人公カン・ハンナの恋愛を描いたコメディー映画だが、私なりのサブタイトルをつけるとしたら、「天は二物を与えず」。この言葉を与えるだろう。

 ヨンハはデブで不細工だがとても父親思いで美声を持ち、歌は下手だがスタイルは良いユソンの陰の存在として生きてきた。

 ヨンハは、好きな人のために整形した。私は整形に関しては、別にしてもいいと思う。お金出してエステ行くのと同じようなものだと思うからだ。要は気持ちの問題だろう。他人がどう言おうと自分がよければいいと思う。

 彼女は整形して変わった。やはり自分に自信を持つことができたのであろう。人前で歌を歌うことができるようになり、テレビにでたりCDを出したりとどんどん活躍するようになった。一方で、父親を赤の他人と言わなければいけなくなり崩れ去るものもあった。

 名前をジェニーと偽り好きな人のもとに帰ってきたヨンハはどう感じて生きていただろう。私はこう思う、「彼女が整形をするのは嫌という好きな人に気持ちだけでなく名前まで伝えられず、好きな人をだまして生活し、心臓を素手でつかまれるようであっただろう」と。

 彼女は結局ファンにすべてを打ち明けて、本当の自分に戻れたのではないか。隠していたものがすべて公になり、もう何も背負わなくていいという安堵が生まれただろう。そして、「大丈夫」と言ってくれたファンのために歌を歌い続ける彼女に感動した。

 人間は何かを手に入れたら何かを失う。そのようなことがわかる奥の深い映画だと思った。

作品名:電車男

監督:村上正典

製作年度:2005年

 私がこの映画を見た理由は、小説は読んだことがあったけれど、映画は一度も見たことがなく、いい機会だと思ったからだ。

 私は中学校を卒業するまで女子とは普通に話しをしていた。しかし、高校入学を機に女子と話すということが苦手になってしまった。この作品はそう言ったところで、私と似ていると思った。

 この話の面白いところは、まず電車男というキャラクターのもつリアリティだ。彼のような奥手なオタク男性は、世の中にたくさんいる。そして、彼のような男性が、エルメスといういわば「別世界の住人」に好かれるために四苦八苦するというギャップ、困難性こそが、掲示板の住民を本気にさせたと見ることができる。

 そしてもうひとつは、電車男の友人が一人も登場せず、最後まで彼はネット上の顔も知らぬ人間たちに助けを求めつづけるという部分だ。デートの誘い方すらわからない彼も、それがみっともない事だということは理解しており、だから相談できる相手は見知らぬ人しかいない。この現代において22歳でオタク趣味という事がいかに男にとって情けないことであるか、電車男もレスする側にも共通認識としてあるわけだが、誰も疑わないその事実こそ、今の時代性を如実に表しているともいえるのだ。

 ヒロインの中谷美紀が選ばれた理由も2ちゃんねるに中谷美紀似と書かれていたからという。かなり実際の話に忠実再現してあるというところもこの作品のクオリティーの高さだということの証明だ。

 最後の「みんなありがとう」の部分は、今までの電車男の努力を支えた仲間に対してだけではなく、エルメスに対しての感謝の気持ちを述べているのだと考える。

 とても清純なラブストーリーで感動した。

  


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